幻のドリームモノレール大船駅乗入計画


現在は駅舎も撤去され、駐車場となってしまったモノレール大船駅…
意外とJR大船駅と離れていますのがわかります

営業当時のことを考えてみても、現在の湘南モノレールのようにスムースな乗換えはできず、
国鉄大船駅を出た乗客は、かなりモノレール駅まで歩いたはずです

なぜ、こんな離れた位置に駅を作ったのか?実は長年疑問に思っていました
そんなおり、その謎を解く興味深い資料が手に入りました
それは開業前に作成されたモノレール計画平面図と思われるものです

タイトルは「モノレール大船線平面図」、
縮尺は1/3000ですが、大船からドリームランドまでを1枚に収めているため、横幅約2mのかなり大きな図面です
昭和39年6月測図と書いてありますので、まだ工事は着工されていなかったものと思われます
ドリームランド予定地から、国道1号線を横断し、大船駅までの路線は、ほぼ開業されたものと同じに見えますが、
1箇所だけ違っている部分があります

それは、大船駅への進入経路です!

下に、その部分の拡大図を掲載しましたが、大船観音のある山の真下を抜けて、
南から柏尾川を横断して大船駅前に抜ける計画となっています
しかも、この図面にはモノレールホームと国鉄大船駅を結ぶ連絡橋まで描かれています

そして、その経路を修整するかのように、鉛筆でやや乱暴に書きこまれたもうひとつの路線…
これこそが、現在の大船への進入経路とほぼ一致しています
つまり、モノレールの大船駅の位置は、変更されているのです
変更前の路線は、トンネルポータルらしい表示も見えますので、
大船観音の山の下をトンネルで抜ける計画だったと思われます

何故、後になって慌しく路線変更が行われたのか?
1つには、工事費の問題があったと思われます
費用と工期のかかるトンネル工事を回避するために、
山の側面を迂回する現在の経路に変更したのは、ほぼ間違いないでしょう

そして、工期については、もう1つ、面白い資料が出てきました
それは昭和40年4月にドリーム交通から国鉄に提出された文書です

これによると、昭和39年3月に国鉄総裁あてに駅と誇線橋設置許可申請書を提出したものが、
この文書が作られた40年4月になっても許可されず
これにより工事の遅延が発生している旨の事が書かれています

これこそが、トンネル工事を断念させたもうひとつの原因ではないかと思われます
この文書では、モノレール開業は昭和40年8月1日となっていますが、
現実には工事は遅れ、実際の開業は9ヶ月後の41年5月でした
そしてその時点でも、当初計画されていた国鉄大船駅への連絡橋は着工されていませんでした
昭和42年のモノレール営業休止がなければ、いずれ新駅舎と国鉄大船駅への連絡橋は着工されていたでしょうが
現実には幻のものとなりました

「先に申請中のモノレール路線大船駅付属ターミナル及び国鉄大船駅の連絡についても引続きご検討をお願い致します」
この文面に、国鉄の都合により予定どおりモノレールと駅舎を開業できなかった松尾社長の無念さがにじみ出ているように思います
昭和39年の国鉄総裁あての文書は未発見ですが、これには幻の大船駅付属ターミナルと連絡橋の絵が添付されていたと思われます
もし機会がありましたらぜひ見てみたい資料です

図面タイトル:昭和39年6月測図となっています


図面全体を広げたもの:横幅約2mの大きなサイズです(90度回転させてます)


↓大船駅付近の拡大図です:現在のものとは違う大船駅への進入経路や、国鉄ホームへの連絡橋がはっきりと描かれています
そして、鉛筆で急いで路線を修整した跡が生々しく残っています



この図面に描かれたモノレール駅舎と誇線橋の位置を、現在の地図に落としてみました↓
現在の大船駅の北側乗換え通路よりやや北側に、駅舎と連絡橋が設置される計画だったのがわかります


これが、昭和40年4月に国鉄東京鉄道管理局長宛てに出された文書です
正式な付属ターミナルが出来るまでの間、「駅舎及び乗降場は仮設備にて開業したい」という文章が目を引きます
…ということは、近年まで現存していた駅舎や乗降場は、「仮設」だったのでしょうか?
そういう目で見ると、大船駅の外部階段など、華奢な造りだったような気が…
これの1年前に出されたという国鉄総裁宛ての文書も見てみたいです!


ドリームランド駅付近の拡大図を最後におまけとして掲載します
ドリームランド開業前の状況がよくわかります(ほんとうに何もなかったんですね…)


こうして、国鉄大船駅とモノレール大船駅を結ぶ計画は幻に終わりました
もし、モノレールの営業休止がなかったなら…あるいは昭和46年に計画された営業再開が実現したなら…
きっと連絡橋と新しい駅舎が設置されていたことでしょう
そうすれば、あの寂しい景色も、全く違ったものになっていたでしょう
東海道線から、取り残されたモノレール駅跡を見るたびにそんな幻の景色を、想像いたします