幻のXデー

モノレール再開にかけた男達

昭和44年初頭、モノレール大船線が運休してから2年半の時が流れていた
かつてモノレールの運転に携わっていた者たちは
再開の日を夢見てほかの部署でのなれない仕事に携わっていた

メーカーとの裁判も長期化する中、車両もレールも傷み始めていた

このままでは本当にモノレールは再開できなくなる
そんな焦りの中で、モノレール再開プランを立てている男達がいた

これは、そんな男達が夢見た、幻のモノレール再開計画の物語である


とまあ、大げさに始めてみましたが、モノレール再開に関連して現時点で確認できているのは、
これから紹介する「モノレール再開時に要する宣伝広告費明細書」一点のみしかありません

この文書によれば、モノレール再開のXデーは昭和46年5月、
順調に運行されていれば、ちょうど開通5周年を迎えたであろう時期です

この文書が作成された時期は、具体的には記入されていませんが、
広告費用の検討のところに「昭和44年1月時点」という記載がありましたので
この頃に作成されたものと判断しました

運行再開を挟んだ前後の具体的な広告戦略や、
ドリーム交通、ドリームランド、雅叙園観光の3社における
費用の負担率まで書かれている広告費用の試算
それから運行再開のイベントに至るまで、事細かに記された内容は、
かなり再開に向けての本核的な検討が
社内で行われたことを示すものではないかと思います

「長らく運休されていたものがただ再開するだけを広告するのではなく、
何より再開されたモノレールが安全で快適である事を、
強く訴えなければ宣伝効果はあがらない」というメッセージ、
TVCMの部分で触れられている「レールの架け替え工事、工場で製造中の車両の紹介…」という部分に
メーカーとの裁判の決着をただ待つのではなく、
自分たちの手で運行を再開しようという強い意気込みを感じます

モノレールの運行再開工事自体の費用については全く触れられていませんが
おそらくはドリームハイツの土地売却によって得た資金を使うことを考えていたのではないでしょうか

「裁判が終わるまで、朽ちてゆく車両やレールを眺めているしかなかった…」という
従来のドリームランド経営陣のイメージを覆す資料ではないかと思います

ドリームランドモノレールについては、まだいくつか入手した資料がありますので、
順次ご紹介して行きたいと思います



表紙
モノレール再開事業が「日本ドリーム観光」「横浜ドリームランド」
「雅叙園観光」「ドリーム交通」の四社協同事業であることがわかる


2ページ目:総括表
広告事業実施時期が45年10月から47年5月までの1年2か月であること
広告費用は4社で負担することおよびそれぞれの負担額などが記載


3ページ目:算定基礎
モノレール再開にあたり、安全性に問題があって運休したというイメージを打ち消すことが
重要課題であることが述べられている
また広告料金の算定が昭和44年1月現在である旨が記載されており、
この資料の作製時期がほぼ特定できる


4ページ目:日本ドリーム観光宣伝広告費


5ページ目:新聞
新聞向けの広告方針が書かれている
運行再開を46年5月と具体的に書いている点に注目


6ページ目:テレビ
テレビ向けの広告方針
レールの架替や車両の新造について書かれている部分が興味深い

7ページ目:雑誌
雑誌向けの広告方針
平凡パンチや少年サンデーなど具体的な雑誌名が多数書かれている


8ページ目:交通広告

神奈川県内はもとより、中央線などにも広く広告を掲出する旨が書かれている


9ページ目:屋外広告
自社関係の広告施設を利用
「当社前広告塔」はデールのことでしょうか?


10ページ目:パブリシティ
記者会見や1日駅長など定番モノから、
プロレスラーや体重100キロ以上の人を招待するなど、面白いアイデアが述べられています


11ページ目:宣材
9ページまでの広告に使用するポスター等の数両や金額を算定したもの

それから2年後、昭和46年5月をむかえたが
ドリームランドモノレールはついに動くことはなかった
再開にかけた男達の夢はかなわなかった

残されていた車両も昭和60年頃に解体された
大船駅も老朽化のため取り壊され
大船からドリームランドへと伸びるコンクリートの軌道だけが残されている

そして平成14年2月17日
横浜ドリームランドは閉園の時を迎えた

もしあの時、モノレールが再開していたなら
ドリームランドの運命も変わっていたかもしれない