開園4年目のドリームランドを語る
-雑誌「レジャー産業68年9月号」より-



おもしろい雑誌を入手したので御紹介します
昭和43年9月発行の雑誌「レジャー産業」です

レジャー施設を分析する業界紙のようですが、この号には横浜ドリームランドの記事が6ページ掲載されています
…さらに、表紙がドリームランドの空撮写真です(こっちの方が大収穫!)

通常とは逆の、園内上空からエンパイア方面を写した珍しいアングルのもので、「冒険の国」や外周列車の「駅」などの俯瞰映像が載っていますので
めいっぱい大きくしてみました(また重いかもしれません…)
よく見ると、モノレールがまだ建設中で、駅付近もホームなどがまだありません
宇田川方向には、レールの載っていない橋脚のみが点々と写っています
エンパイアはすでに完成しているようです
これから推定すると、撮影時期は雑誌発行よりかなり前(昭和40年頃)と思われます
駐車場のバスなどの位置から、おそらくすでに紹介済みの「日本ドリーム観光会社案内」の表紙見返しの空撮写真と同時に撮影されたものと思われます
おそらく、この時、他にも何枚もドリームランドの空中写真が撮影されたものと思われます
もし、それらの写真が残っているなら、ぜひ見てみたいものです

「冒険の国」部分はこの数年後に売却され、ドリームハイツになってしまいました
ですからもう、この景色を見る事は永遠に出来ません…



「レジャー産業68年9月号表紙」


表紙の写真のみ拡大したものです↓
「冒険の国」は、マンモスなども写っており、展示方法がよくわかって面白いです

この写真に写っている大部分は、数年後に売却されて消えてしまいました
中央の水路のあたりが、現在のハイツと園内を隔てているバス道路の位置でしょうか

開園当初のドリームランドの広さがわかる貴重な写真です



ご本人の許諾をいただききましたので、「YAHOO掲示板」にKuroT28さんが書いていただいた写真の解説を転載させていただきました。写真と合わせてお読みください。↓
(KuroT28さんありがとうございました)オレンジ色の部分が転載させていただいた部分です

で、建築中のモノレールを除いて(笑)、まず目に付くのは、一番手前の「冒険の国巡航船」ですかね?
写っているのは行程の終盤で、白い部分がマンモス、これから船が差掛るカーブのイン側には、neosurfer2001さんのパンフに登場した”ネアンデルタール人の村”がある様です。
「冒険の国巡航船」については、かなり写真が集まり、大凡の全体像が見えて来ましたので、これもまた近い内に纏めてみたいと考えています。<ホントか?(自爆)

続いて、中段左手の外周列車の駅。ご覧の通り、周りに主だった遊具施設が無いエリアなので私も馴染みが薄く、乗降りに利用した記憶もありませんし、ちゃんと見える写真もコレが初めてですね。駅の正式名称も判っていませんが、恐らく「冒険の国駅」では無かろうか?と推察されます。

注目なのは、駅に隣接する踏切り。ココは一般客が入退場する場所では無く、関係者や搬入車両が出入りしていた様で、恐らく尖がり屋根の丸い小屋は、警備員が常駐している”監視小屋”でしょう。
また、画面左外側にはドリームの社員寮が立ち並んでいたので、各遊具のスタッフ達は毎朝ココから入り、それぞれの持ち場まで、外周列車で”通勤”していたのカモ?(爆)
駅前広場向いの”コの字”型で黒い屋根の建物は、vfさんの写真にあった「雅叙園事務所」と称される建物で、vfさんの撮影位置からは真逆に当ります。
その左上の白い四角い建物が「人形陳列館」ですが、同じくvfさん提供の”カートレース写真”に写っていた建物とは、明らかに形状が異なる事が判ります。

陳列館右上の、三棟集まった様な建物も不明ですが、この写真の反対側はオープンテラスの様になっている事から、何かしらの店舗や軽食の店かと思われます。また、この建物の影にも外周列車の踏切りがあった様ですが、ここにも”監視小屋”があったのかどうかは未確認です。

ここで話を戻しますが、先程の”カートレース写真”の建物は、影の踏切りに向う土手の位置等から、どうやらこれらの建物の跡地(?)辺りに建てられたものと思われます。しかし、これだけ色々な写真が出て来たにも関わらず、他には1枚も見つかっていない事から、かなりの短期間しか存在していなかった様で、未だに謎のままです。

更に右手に目を移すと、移動しつつも現存している(と言っても風前の灯。。。)建物二棟と、その手前に、これまた使用目的不明の建物。この建物も三棟が集まっている様に見えますが内部で繋がっており、ハイツ建築による縮小後もラブスクエアー改築の時まで存在し、その頃には「中華料理屋」になっていた記憶があります。
これら建物群の間には”お堀”がありますが、特にどこかの水路と繋がっていた訳でも無く、晩年は藻で緑色に濁っていた様に思います。これがそっくり埋め立てられ、プール脇の通路と繋がって外周道路になっている訳で、このラインから左半分がハイツの下に埋もれている事になります。
もし掘り返す事が出来れば、お堀や巡航船の水路辺りで”遺跡”が出てくるカモ?(笑)<やってみたいーっ!

記事本文(6ページ)
レジャー施設研究家「千葉高司」って誰?
横浜ドリームランドが、開園当初から赤字続きであった事などが語られていて興味深いです
また、当時の遊具の利用料金の一覧表などもあって面白い
やはり、収支の悪化はモノレール運休が致命的だったようです
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結局、モノレールは再開せず、収支も好転しなかったため、このあとドリームランドはハイツへの敷地売却を行い
凋落への道を辿り続けてゆきます

もしモノレールが再開されていたたなら、ドリームランドにも違う未来が待っていただろうと思います…